THINGS I LOVE vol.2
2025.04.24feature


1986年、僕はPOPEYE編集部でエディターとしての仕事をスタートさせた。当時、ファッションページに携わるフォトグラファー、スタイリスト、ヘア&メイクなど、ほとんどのスタッフが現場でYohji Yamamoto POUR HOMMEの服を着ていた。とにかく大ブレイク中のブランドだったわけだが、単に「流行りのブランド」を超えた何かが、Yohji Yamamoto POUR HOMMEにはあったと思う。どんな流行にも波はあるが、幾多の波を乗り越え、Yohji Yamamoto POUR HOMME は今もなお、その世界観を変えることなく健在。多くの男たちの支持を得ている。

思えば、時代の流行とは一線を画し、自らの世界観を貫く姿勢はデザイナーの山本耀司さんの生き方そのものだ。格好いいと思う。格好いいファッションデザイナーは他にもいるが、生き方とクリエーションがシンクロしている例は稀だ。かつて「茶の本」を英語で出版し、欧米の知識人に日本美術を広めた岡倉天心のようだ。これは僕の主観だが、岡倉天心の弟子だった画家の横山大観や菱田春草が確立した朦朧体と呼ばれる絵画のスタイルと、Yohji Yamamoto POUR HOMMEのクリエーションには親和性がある。2009年に会社が人の手に渡った時、山本耀司さんは「ぶっ倒れるまで服を作ります」とコメントした。潔いと思った。信念の強さが滲み出ていた。ファッション、特にランウエイブランドの煌びやかな世界と根性論や精神論は無縁だとも思えるが、山本耀司さん、そして彼の作る作品を見ていると、実際、ファッションと精神は密接に繋がっており、かつ、それがとても重要なことだと伝わってくる。 1991年の1月にパリで見たショーでは、ブランキー・ジェット・シティがモデルとして登場。マーメイドのイラストが背中に描かれた赤い革ジャンがとても印象的だった。湾岸戦争真っ只中に行われたこのショーでは、ラストにモデルたち(ほとんどがミュージシャンだったはず)約15名ほどがアカペラで反戦歌を口ずさみながら歩く演出があった。このシーンが格好良すぎて、未だに脳裏に焼き付いている。まさに「永遠の一瞬」とはこのことだ。心の底から痺れた。これまで数百本のランウェイを見ているが、間違いなくあのコレクションは、MY BEST 3に入る1本である。

今回ピックアップしたコートは、そのYohji Yamamoto POUR HOMMEの90年代前半のもの。形はダッフルコートのようだけど、トグルボタンではなく、メタルボタンがポイントになっている。金ボタンがサイボーグ009のようで、アニメヒーローのようでもある。2000年以降、日本のアニメヒーローディテールの服がラグジュアリーブランドに注目されるが、その全然前だと考えると、そういったモチーフ選びも早かったな〜。

■祐真朋樹(@stsukezane)
1965年京都市生まれ。マガジンハウス『POPEYE』編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は雑誌のファッションページの企画・スタイリングの他、アーティストやミュージシャンの広告衣装のスタイリングを手がけている。コロナ以前は、35年以上、パリとミラノのメンズコレクションを取材していた。